こんにちは!サッカーのみちしるべです!
サッカーのみちしるべ⚽
日本サッカー協会公認A級ライセンス取得見込み
プロサッカーコーチ9年目
小学生~中学生を中心に年間600コマ以上指導
・ザッケローニ監督って今何してるの?
・戦績や経歴、戦術は?
今回は上記のようなことについて説明していきます。
ザッケローニさんはサッカー元日本代表監督であり、かなりの親日家ということで知られていますね。
2014年ブラジルワールドカップではグループリーグ敗退と悔しい結果になりましたが、日本サッカーに大きく貢献してくれた人物です。
それでは説明していきます!
目次
ザッケローニ監督はUAE代表の監督を退任していた【2019年現在】
2019年1月にUAE代表監督を退任し、現在はフリーとなっている
2010年から日本代表を指揮し、始めての代表監督、またアジアに進出してきたザッケローニですが、日本代表監督後もアジアを拠点としています。
2014年に日本代表でブラジルワールドカップを戦った後は少しの休養を挟み、中国スーパーリーグの北京国安の監督に就任
同年に成績不振ですぐに解任され、地元イタリアでゆったりと生活しているところをUAEがオファーをして就任が決まったそう
2017年からUAE代表を指揮していたが2019年1月にこれもまた成績不振で解任...
日本代表監督になるまではイタリアで素晴らしい結果を残してきたザッケローニですが、日本代表監督に就任してからはあまり成績的に良くないということですね...
ちなみにUAE代表監督時代の戦績は23試合 7勝 8分 8敗です。
それでは日本代表時代のザッケローニ監督を振り返ってみます
日本代表時代のザッケローニ監督の戦術、戦績は?
日本代表監督時代は55試合 30勝 12分 13敗です。
UAE代表監督時代と比べると良い成績なのがわかりますね。
ちなみに以下日本代表監督の主な戦績
(1998~2002)トルシエ監督
→50試合 23勝 15分 12敗
(2002~2006)ジーコ監督
→71試合 38勝 15分 18敗
(1997~1998、2007~2010)岡田監督
→64試合 31勝 16分 17敗
(2010~2014)ザッケローニ監督
→55試合 30勝 12分 13敗
(2018方~)森保監督
→23試合 16勝 4分 3敗
ザッケローニ監督【戦術】
続いて戦術についてです。
基本的なゲームプランとして、自分たちがボールを握ること、それぞれが近い距離間にいることでコンビネーションプレーを行うこと、がありました。
このブラジルワールドカップで敗退した後流行語にもなった「自分たちのサッカー」というのはこのようなことを指します。
ザッケローニ監督はパスを細かく繋いでいくサッカーをしたい!というのもあったとは思いますが、日本人の特徴である「ボールを扱う技術、勤勉性、協調性」というものを生かすためにこの戦術を選択したのだと思います。
攻撃時はこのようにサイドバックの長友佑都と内田篤人が高い位置を取り、サイドプレーヤーではない香川真司と岡崎慎司が中央へポジションを取る
よりコンビネーションに長けた香川真司は遠藤保仁、本田圭佑、長友佑都と近い距離間を保ち、よりストライカーに近い岡崎慎司はゴール前に顔を出す機会を増やした
この時の原則としては長谷部誠と遠藤保仁は、内田篤人と長友佑都が上がったスペースをカバーですること、というものくらいだろうか。
結果的に遠藤保仁のカバーリング能力の低さと、この原則の少なさが日本代表がブラジルワールドカップで結果を残せなかった大きな原因だと思う
そしてこのことが表面化してきたのがブラジルワールドカップ直前、もしくはブラジルワールドカップ最中でした。
改善策として遠藤保仁の代役として山口蛍を入れましたが、カバーリング能力は高いがコンビネーションプレーの成熟されていなかったということもあり、逆に日本代表の強みが薄れていきました。
結果的にブラジルワールドカップでは予選敗退をしました。
が、僕はこのブラジルワールドカップがこれからの日本代表にとってすごく大きな財産になったと思う。
変に守備的なサッカーにシフトチェンジせずに、自分たちの今できることを発揮することで日本人の特徴は世界にも通用する点があった、それらを積み上げながら課題に取り組むという大きなきっかけになったと思う
ザッケローニ監督【日本代表監督になる前の指導歴】
日本代表になるまではイタリアのクラブチームを指揮していたが、そこでは素晴らしい成績を残してきた。
ASレアル・チェゼナーティコ 時代
ザッケローニ監督はセリエAでプレーした経験もイタリア代表に選出された経験もなく、選手歴が乏しい監督である。
若いころに選手として入団した セリエC2のASレアル・チェゼナーティコ では怪我で苦しみまともにプレーできなかったという
その後選手を引退し監督として ASレアル・チェゼナーティコ の監督に就任した
イタリアサッカーはカテナチオと呼ばれる超守備的なサッカーが伝統的ではあったが、ザッケローニ監督は超攻撃的なサッカーを好み3-4-3をお得意のフォーメーションとしている
徐々にそれが評価されセリエAのウディネーゼの監督に就任することになる
ウディネーゼ時代
ザッケローニ監督がイタリアでさらに評価されるようになったのがウディネーゼ時代である
当時まだまだイタリアのセリエAでは弱小クラブのウディネーゼを率いたザッケローニ監督はその持ち前の超攻撃的なサッカーで3位にまで食い込みUEFAカップ(現在のチャンピオンズリーグ)の出場権を獲得するまでになった
この実績が認められ、すぐにACミランが引き抜くことに
ACミラン時代
就任初年度に当時優勝争いを演じていたラツィオを振り切りスクデット(リーグ1位)を獲得した
このときも3-4-3を用いており、この超攻撃的なサッカーがイタリア中、世界的にも評価される年となった
この年にイタリアサッカー選手協会年間最優秀監督賞を受賞した
ただその後はACミランの名物会長であるベルルスコーニと意見が対立し、退任する
SSラツィオ インテル トリノFC ユベントス時代
ACミランでスクデットを獲得したあとは、この4チームを渡り歩いたがどれも1年を待たずに解任される
この辺りから3-4-3ではなく、少し現実的になり4-4-2などバランスを考えた布陣に変更することが多くなった
しかしイタリア伝統のカテナチオを破ることができず、どのチームでも良い成績は残せず
ちなみにACミラン、インテル、ユベントスのイタリアを代表する3チームを指揮した経験がある人物はこれまでに3名しかいない
そのうちの1名がこの後日本代表を指揮してくれることになるとは...
日本サッカー協会もこのときばかりは本気で頑張ったのだろう...
ザッケローニ監督【日本代表監督以前のまとめ】
イタリアのクラブチームを率いていたときの通算成績は
372試合 153勝 118分 113敗
イタリア伝統の超守備的なサッカーであるカテナチオではなく、これまでのイタリアのイメージを覆した攻撃的なサッカーを好んでいた
当時のセリエAは世界最高のリーグと呼ばれており、このリーグを制覇した監督が日本代表を指揮することになるとは本当に幸運な出来事である。
続いてはザッケローニのちょっとした情報を説明したいと思う。
ザッケローニは日本大好き親日家
ザッケローニは日本代表というより、日本をこよなく愛している
あるインタビューでこう答えている
「日本の文化は大好きだ。4年間を過ごしたわけだが、さもなければ4年間も耐えられなかったかもしれない。その4年間の中では、日本で史上最大の地震(2011年の東日本大震災)にも遭い、様々なことを経験した。それでも私の人生の中で最高の経験だったと考えている。絶対的にね」
ゲキサカ 元日本代表監督ザッケローニ、愛を語る「日本は人生で唯一無二、最高の経験」 より
「サッカーキャリアとしても経験では、ウディネーゼが最高だったが、人生としての経験では、日本が1番だ。唯一無二であり、素晴らしい時間だった。他者への敬意や礼儀に基づいた文化は、模範とすべきだと考える」
本当に日本が大好きなのであろう
今でも年に2回は家族旅行をするくらいだと言う。
日本人である僕たちからすると日本代表を指揮してくれただけでなく、このように日本に対する愛情を公表してくれることは嬉しいことです。
ザッケローニの通訳 矢野大輔さん
ザッケローニ監督の通訳を務めたのが矢野大輔さんという方です。
元々ユベントスが来日した時や、トリノFCに大黒将司選手が移籍した時に通訳として働いていたが、日本代表にザッケローニ監督が就任したと同時にザッケローニ監督の通訳に
ザッケローニ監督とともに4年間日本代表の一員として戦い、ブラジルワールドカップ終了後には、サッカーの指導者も目指していたということで、 イタリア6部ラスカリス で監督も務めた
ザッケローニ監督が退任する時に号泣していたのが印象的ですね。
ザッケローニ監督 現在から経歴などのまとめ
ザッケローニ監督は2019年1月にUAE代表監督を退任したが、現在は監督として活動はしていない。
セリエAでは超攻撃的なチームでリーグ制覇、年間最優秀監督を受賞するなど輝かしい経歴を持っている。
日本が大好き、親日家
通訳の矢野大輔さんはザッケローニ監督の影響でイタリア6部チームの監督に
日本サッカー成長のために、全力で戦ってくれた監督です!!